そらとぶアザラシ

とあるWEBエンジニアの日誌

外国人と日本人の狭間であること [ブローガスト Day10]

Fediverseでブローガストのハッシュタグをフォローしているのでブローガストのハッシュタグがついてるブログが流れてくる。そんなタグの中のひとつ、 ブローガスト記事まとめ+他の記事いくつか という記事の中の 「”外国人”問題」について という記事。読んでみて、思ったことを呟きたいな、と思ったので、ブローガスト Day10として、よしなしことを書いていこうと思う。

 

自分は先の記事の途中に紹介されている↓の漫画の登場人物たちと同じで、外国人と日本人の間に生まれた。

to-ti.in

 

母はタイ人、父は日本人。外見はだいぶ日本人寄りなので、話に登場する子たちだと母が中国人の紗瑛子が立場が近いだろうか。1話の主人公のように、外見から外人さんと言われることはないし、相模原出身だと言っても何も驚かれることはない。むしろ母がタイ人だと言うと驚かれる、そんな感じだ。でも1話中盤の飲み会のページで紗瑛子が話しているように、 「どこ行っても一生ヨソモノ」という感覚はある。正直日本人ファーストが流行った時は怖かった。母を連れて日本から出る手段を真剣に考えた。日本人ではないと思っていないが、日本人だとも思っていないのだ。日本人ファーストと言われた時、自分は『ファーストされない側』だと思っている。あるいは、母がファーストされない側なのに、自分だけがそれを享受することはできないと思っている。そんなあやふやな立場の人間なのだ。かなしいね。

 

さて、私のような出生の人間はどのくらいいるのか。厚生労働省が調査をしている。毎年の長さをしているわけではないようだが、2014年においては父母の一方が外国人という子は1万9000人ほど。2024年においても1万5000人ほど。2014年と2024年が特殊ケースではないと仮定すると、毎年1万人ちょっとが日本と他の国の人との間に生まれていると推定できる。

令和8(2026)年度人口動態統計特殊報告 「日本における人口動態(昭和30〜令和6(1955〜2024)年)-外国人を含む人口動態-」の概況|厚生労働省

 

日本人の子どもが98万とか67万に対しての1万人ちょっとを多いと感じるか少ないと感じるかは人次第だ。そのうち日本に住んでいない子もいるだろう。日本に住むことができないという結論をだした子もいるだろう。実際にそういう子を見たことがある。

 

異物を排除さえすれば自分たちは幸せになれる。身体のしくみだってそうなのだから、そのしくみを持った身体で構成されている人間社会が同じ発想に至るのは、仕方のないことなのだろう。間にある人間はどうしたらいいのか、排除する側には関係ないのだから、多分何の考えも持ってないだろう。いいな、排除する側っていうのは、気楽で。

 

外国人はゴミの分別ができないとかもよくいうが、うちの母がそれを言われるのを警戒して、すごーく気を付けている。わかんないものは父か私に聞くので、今までなんか言われたことはない。それは、母が父か私という日本人に気軽に聞ける環境が整っているからこそのことだろう。

 

『外国人は~~』と気軽に言う人は外国人は日本語がわからないものだと思ってるのかもしれないが、咄嗟に日本語で返すことができなくても、言われている意味がわかっているケースはある。日本で育った外国人の親を持つ子たちはもちろんわかっている。自分の親がそういう風に言われる社会で育つ影響は計り知れない。排除する側は排除される側の問題行動にばかり目を向けるが、排除される側がどのように育ち、どうしてそうなってしまったのかは、目を向けない。この苦しさは透明だ。

 

ということをね、当事者が言っても『嫌なら日本から出て行けよ』としか言われなさそうなのであんまり言わないんですよね。でも私、日本語しかしゃべれないんだ……正直マジで英語ガチでやっておけばよかったって思ってる。

 

これはN=1の意見なので、ミックスルーツの中にはそういう風なことを考えてる人もいるんだなあって思ってください。ではノシ