そらとぶアザラシ

とあるWEBエンジニアの日誌

流浪の月を読んだ

読んだ。ひとつひとつの要素はいわゆるよくある要素なんだけど、組み合わさって良い味を出してるなぁと思った。英題が『THE WANDERING MOON』なんだけど、英題のが話に似合ってるかも、と思った。

 

親は外国の人?と言われるような、日本のフツウとは少し違う家庭で育った更紗。父を亡くし、母は行方不明に、そして叔母にひきとられ、窮屈なフツウを押し付けられる。あとから考えると叔母さんの家庭もフツウでないのだが、幼い更紗がそんなことをわかるはずもなく。そして公園に居たロリコン男の文に出会い、家に来る?という誘いにのって、自ら誘拐される。のだが、文も文で、フツウではない。

 

彼らはまぁまぁ極端にフツウでないのだが、人は彼らをフツウのものさしではかろうとする。フツウのものさしの感覚からくるやさしさは、彼らにとって、的外れでつらい。フツウの人フツウという言葉で彼らを決めつけるし、押しつけてくる。

 

英題のが似合うかも、と思ったのは、『WANDERING』は『さまよう』だから。彼らの感じは流れてるというよりは、捕まるところも、拠り所もなく、どこに行けばいいのかわからず、迷っている感じ。

 

多分他の人も多かれ少なかれ、彼らみたいに『そうじゃないのにな』『フツウはそうなんだろうけど、自分の感じ方は違うのにな』って思うこと、あると思う。

流浪の月に共感するかは人それぞれな気もするけども、これもひとつの道徳かも、と思った。

 

話が終わっても、更紗と文はあてのない旅を続ける。何も解決はしていないのだけど、彼らの悩みは今の世界じゃ解決することもないので、きっとこれは今の世界での最良のエンドだな、と思う。

 

時には括らないといけないこともある。でもわたしは、それをできるだけしないでいよう。そう思える作品だった。